2008年1月23日水曜日

片岡球子さん死去 日本画壇最長老・札幌出身 103歳

個性的な歴史人物画などで知られる日本画壇の最長老で、文化勲章受章者、日本芸術院会員の片岡球子(かたおか・たまこ)さんが十六日午後九時五十五分、急性心不全のため、神奈川県藤沢市の病院で亡くなっていたことが二十一日、分かった。百三歳。札幌市出身。自宅は藤沢市辻堂東海岸一の一九の三八。葬儀は近親者で済ませた。喪主は弟邦三(くにぞう)さん。
 二○○五年には、百歳記念の大規模な回顧展「現代日本画の巨星」が神奈川県立近代美術館葉山館などで開かれ、葉山での開会式には車いすに乗りながらも元気な姿で現れて、画壇の重鎮の存在感を示した。
 一九○五年(明治三十八年)、札幌の醸造業を営む裕福な家の長女に生まれた。庁立札幌高女(現札幌北高)在学中に画家を志し、東京の女子美術専門学校(現女子美術大)で日本画を学んだ。卒業後は横浜の尋常小学校の教壇に立つ傍ら制作に励んだ。
 三○年(昭和五年)、二十五歳のときに「枇杷(びわ)」が第十七回院展に初入選したが、三十代前半までは「ゲテモノ」と評されるほど個性の強い作風が災いして落選を繰り返し、不遇な時代を過ごした。
 持ち前の負けん気で精進を続け、戦後の四六年、「夏」で院展最高賞の日本美術院賞を受けてからは受賞を重ねた。五二年に院展同人になり、画壇に不動の地位を築いた。
 代表作は、足利尊氏、葛飾北斎ら歴史上の人物の顔を主題に六六年、六十一歳のときに始めた大作「面構(つらがまえ)」シリーズ。深い洞察と時代考証で写実を超え、格調の高い画風で日本画の新しい局面を切り開いた。
 もう一つのライフワークは「富士山」で、六七年に「山(富士山)」を制作以来、四季折々の姿を、大胆、奔放な筆遣いで描き続けた。道内の山を描いた作品には八六年の「羊蹄山の秋色」などがある。また、七十代後半からは裸婦シリーズにも挑み、百歳を過ぎても現役で旺盛な活動を続けた。
 女子美術大や愛知県立芸術大の教授を歴任し後進の指導にも尽力。七六年、勲三等瑞宝章を受章。八二年、日本芸術院会員、八六年、文化功労者に選ばれ、八九年、文化勲章を受章した。
 昨年末に風邪をこじらせ、入院していた。

(北海道新聞より引用)

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